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展示・コレクション


常設展示

Kamikaze展

1945年4月11日、戦艦ミズーリは右舷後方に特攻機の攻撃を受けました。翌日、ウィリアム・M・キャラハン艦長の命により、特攻隊員に水葬が執り行われました。Kamikaze展では、特攻機が命中した場所、水葬が行われた場所の一つ下の階に位置し、ミズーリの乗組員が作成した貴重なトレンチアートや、日本国外ではほとんど見る機会のない特攻関連の遺品を展示しています。展示品には、特攻隊員が家族や愛する人に宛てた遺書や詩、個人的な写真や資料、歴史的な画像、制服などが含まれます。この展示は、鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館との提携により実現しました。

上等兵曹レガシーセンター

この展示は上等兵曹の居住区に設置されており、アメリカ海軍における上等兵曹の役割とその歴史を称えるものです。どこで食事をし、眠り、休息を取っていたのかを実際に見学し、上等兵曹になるために求められるものについて学ぶことができます。展示品には、制服、武器、名誉勲章などが含まれています。

第二次世界大戦の展示

郵便局の近くにある第二次世界大戦の展示に足を踏み入れると、まるで1940年代のリビングルームにタイムスリップしたかのような感覚を味わえます。この展示では、1941年12月の真珠湾攻撃から、1945年9月の戦艦ミズーリ上での降伏調印式まで、戦争の主要な出来事や戦域を物語る貴重な品々をご覧いただけます。

上級士官食堂の展示

メインデッキにある上級士官食堂は、見学ルートの要所に位置し、現在いくつかの展示が行われています。戦艦アリゾナの破片をはじめ、ミズーリのオリジナル銀製食器の展示、そして2010年に就役した原子力潜水艦ミズーリ(SSN-780)も含む、「ショーミー・ステート(ミズーリ州)」の名を冠した各艦艇の紹介などがあります。

企画展

朝鮮戦争展示

展示場所: 地下一階/セカンドデッキ 後方

この展示は、「忘れられた戦争」とも呼ばれる朝鮮戦争(1950~1953年)に従軍した方々の献身と犠牲を称えるものです。戦艦ミズーリはこの戦争において重要な役割を果たし、国連軍への艦砲射撃支援を行いました。展示では当時の歴史的な写真を通じて、ミズーリの貢献と、従軍した勇敢な人々の不朽の遺産に光を当てています。

近日公開

白い閃光、黒い雨:ヒロシマ・ナガサキ原爆投下80周年記念特別展

2025年8月12日にオープンする本展示は、広島と長崎への原爆投下から80年の節目を迎えるにあたり、その歴史的出来事とその甚大な影響を振り返るものです。本展では、広島市、長崎市と戦艦ミズーリ記念館が所蔵する貴重な資料を通じて、原爆投下の悲劇と平和への思いを伝えます。展示品の中でも特に注目されるのが、1945年8月6日の広島原爆により被爆し、後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんが折った実物の折り鶴です。

本展示は期間限定で、2026年2月28日まで開催されます。オープニング当日には、戦艦ミズーリ記念館で特別なセレモニーと祝福の儀式が行われます。展示やオープニングイベントの詳細は[こちら]をご覧ください。

平和への道:第二次世界大戦における戦艦ミズーリの記憶

2025年9月2日、第二次世界大戦終結80周年の記念日に、戦艦ミズーリ記念館は新しい体験型展示『平和への道:第二次世界大戦における戦艦ミズーリの記憶』を公開します。

この『平和への道』では、来訪者を深く引き込む旅へと案内し、歴史的な戦艦ミズーリが第二次世界大戦で果たした重要な役割と、乗組員たちの体験を探ります。戦艦ミズーリに乗艦した勇敢な乗組員たちを称え、個人の遺品や持ち物、アーカイブ映像を通じて乗組員の物語にスポットを当てます。


神風特攻攻撃および水葬80 周年記念 オンライン展示室 


1945年4月11日、神風特攻機「零戦」が戦艦ミズーリの右舷、主甲板よりやや下の位置に突入しました。衝突の際、機体の一部と特攻隊員の遺体が主甲板上に投げ出されました。ウィリアム・M・キャラハン艦長は、過酷な戦時下において人間性を重んじるという大きな決断を下し、この特攻隊員に対して軍の正式な儀礼をもって水葬を行うよう命じました。

こちらのオンライン展示では、この出来事に関連する、これまで未公開であった貴重な遺品の一部を展示いたします。これらの遺品の多くは、第二次世界大戦終結80周年にあたる2025年9月2日にオープンする「平和への道: 第二次世界大戦における戦艦ミズーリの記憶」にて初めて一般公開されます。

展示内容:

  • 神風特攻隊員のスカーフ
  • 神風特攻機 零戦の金属から作られた腕時計
  • 神風特攻機 零戦の燃料計
  • 神風特攻機 零戦の機体破片

展示品#1 - 神風特攻隊員のスカーフ
1945年4月11日に戦艦ミズーリに突入した神風特攻隊員が身につけていたスカーフの一部。第二次世界大戦中にミズーリの医療部問に所属し、隊員の遺体の処置に携わったとされるアイヴァン・デクスター一等衛生兵の家族より寄贈されたもの


展示品#2 - 神風特攻機 零戦の金属から作られた腕時計
1945年4月11日に戦艦ミズーリに突入した神風特攻機の破片を使用して作られたと考えられる腕時計。バンド部分には「USS Missouri」と「Claude Henderson」の刻印あり。ヘンダーソン一等兵は第二次世界大戦中、艦内郵便局で従事していた。


展示品#3 - 神風特攻機 零戦の燃料計
1945年4月11日に戦艦ミズーリに突入した神風特攻機のものとされる計器盤。直径2.5インチで、表面は黒、裏面は銀色。一つ目のゲージは0、10、20、30の目盛りがあり、中心の取り付け穴の上下にカタカナの記載あり。「0~30」の間には「5番タンク」と日本語で記載がある。二つ目のゲージは0、5、10、13.86の目盛りが刻まれている。1944年から1946年までミズーリの砲術部問に従事していたリチャード・ゴードン・ヤング一等兵の家族より寄贈。


展示品#4 - 神風特攻機 零戦の機体破片
1945年4月11日に戦艦ミズーリに突入した神風特攻機のものとされるアルミニウム製の破片(7.25インチ x 4インチ x 1.75インチ)。1944年から1946年までミズーリの砲術部問に勤務していたリチャード・ゴードン・ヤング一等兵の家族より寄贈。


展示品#5 キャラハン艦長写真コレクション
ウィリアム・マッコーム・キャラハン艦長のオリジナル写真コレクションです。キャラハン家よりご厚意で寄贈されました。
キャラハン大佐は戦艦ミズーリ(USS Missouri)の初代艦長であり、1945年2月に同艦が太平洋戦域に到着した際に指揮を執っていました。その月、ミズーリは日本本土への初の大規模空爆作戦に参加し、東京への空母攻撃にも加わりました。3月には硫黄島での作戦を支援し、4月には沖縄の初期砲撃に参加しました。

沖縄戦の最中、神風特攻機がミズーリに突入し、破片やパイロットの遺体が甲板に飛散しました。このときキャラハン艦長は、敵兵であるパイロットに対しても軍人としての敬意を表し水葬を命じました。この行動は乗組員たちに大きな感銘を与えるリーダーシップの象徴的な瞬間となりました。キャラハンの兄であるダニエル・J・キャラハン少将も1942年のソロモン諸島の戦いで戦死していたため、この決断は特に胸を打つものでありました。

1945年5月、キャラハンは少将に昇進し、ミズーリの指揮はスチュアート・“サンシャイン”・マレー大佐に引き継がれました。キャラハン中将は、38年にわたる輝かしい軍歴を経て、1957年3月1日にアメリカ海軍を退役しました。


展示品#6 進水式の冊子
1944年6月11日、ニューヨーク州ブルックリンのニューヨーク海軍造船所で行われた戦艦ミズーリ(USS Missouri)の進水式における、オリジナルプログラムのデジタル化版です。キャラハン家より寄贈されたこの冊子は、同艦がアメリカ海軍艦隊に正式に加わった歴史的な瞬間を伝える貴重な資料です。

進水式ではウィリアム・M・キャラハン大佐が艦長に任命され、式典のスポンサーは当時上院議員だったハリー・S・トルーマンの娘、マーガレット・トルーマンが務めました。戦艦ミズーリは、その後アメリカが就役させた最後の戦艦となりました



セキュリティ強化のため、戦艦ミズーリ記念館およびパールハーバー航空博物館へ向かうフォードアイランド巡回シャトルにご乗車の際、有効な政府発行の写真付き身分証明書の提示をお願いする場合がございます。海外からお越しの方には、パスポートのご持参をおすすめいたします。ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。

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