戦艦ミズーリは第二次世界大戦が正式に終結した歴史的なアメリカの戦艦です。わたしたちは、戦艦ミズーリが歩んできた歴史を世界中の多くの人々へ、また、後世へと語り継いでいきます。
館内には展示室が設置されています。また、現在公開されている多くの部分は、戦艦ミズーリが近代化された以降の当時の艦内設備や生活の様子をほぼ忠実に再現しています。
企画展(地下一階/セカンドデッキ)
真珠湾攻撃後の人生: 戦時下のハワイにおけるアロハ・スピリットの回復力
12月7日の真珠湾攻撃(アメリカ側では、「不名誉の日」と当時の演説での発言がありました)に巻き込まれた軍人の体験はよく知られていますが、ハワイを故郷とする人々の生活がいかに突然に大きく変わったかは、あまり知られていません。この展示では、歴史をさかのぼり、第二次世界大戦中のカマアイナ(ハワイ在住者)の目線から史実を伝えています。戦争がハワイの人々の日常生活に与えた深刻な影響を知り、この激動の時代におけるハワイの人々の回復力と適応力について理解を深めて頂けたらと思います。
環太平洋(リムパック)
世界最大の多国間海上軍事演習である環太平洋合同演習(リムパック)をご紹介しています。1971年以来隔年で開催されているリムパックは、海上交通路の安全を確保し、自由で開かれたインド太平洋地域を支える重要な協力関係を育んでいます。この展示では、1988年と1990年の演習において、相互運用性と戦略的海洋パートナーシップの強化における戦艦ミズーリの重要な役割を説明しています。海軍の卓越性と国際的な仲間意識の遺産を讃え、歴史的遺物や記録を通じて、マイティ・モーのリムパック参加をぜひ体験してください。
常設展示
Kamikaze展
場所:セカンドデッキ
1945年(昭和20年)4月11日、沖縄海域にて上空約30メートルから一機の神風特攻隊のゼロ戦が戦艦ミズーリに向けて突入、右舷艦尾付近に衝突しました。火災の後、乗員たちがデッキの上で発見したのは、この特攻隊員のご遺体でした。翌日、当時の艦長、ウィリアム・キャラハンの命令により、特攻隊員の水葬が戦艦ミズーリの甲板上で行われました。その水葬が行われた甲板の一つ下の階では鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館のご協力のもとに、特攻隊員の遺品や家族や愛する人へ宛てた手紙など、日本国外ではあまり見る事の出来ない展示品の数々をKamikaze展で公開しています。また、特攻隊にまつわる戦艦ミズーリ保存協会のコレクションとミズーリで行われた水葬に関する資料なども展示しています。
クルーズ・ルーム展示室 (一時閉鎖中)
場所:セカンドデッキ
第二次世界大戦から湾岸戦争までに従事した乗組員たちの記念の品々を展示しています。第二次世界大戦終結時に東京湾で収拾された石や、戦艦ミズーリが訪れた場所の刺繍が施された1980年代のジャケットなど、これらの展示品は詳細な説明なしでも彼らにとってどれだけ大切な物であったのかを見て感じていただくことが出来ると思います。
上等兵曹展示室
場所:セカンドデッキ
海軍上等兵曹に敬意を表し、上等兵曹居住区に制服や武器や名誉勲章などを展示しています。
朝鮮戦争の展示
場所:セカンドデッキ
“忘れられた戦争”とかつて呼ばれた朝鮮戦争に関する展示をしています。
上級士官食堂の展示
場所:メインデッキ
戦艦アリゾナの断片の一部や、戦艦ミズーリのオリジナル銀食器一式、2010年に就役した4代目ミズーリのヴァージニア級の潜水艦(SSN 780)の模型などを展示しています。
神風特攻攻撃および水葬80 周年記念 オンライン展示室
1945年4月11日、神風特攻機「零戦」が戦艦ミズーリの右舷、主甲板よりやや下の位置に突入しました。衝突の際、機体の一部と特攻隊員の遺体が主甲板上に投げ出されました。ウィリアム・M・キャラハン艦長は、過酷な戦時下において人間性を重んじるという大きな決断を下し、この特攻隊員に対して軍の正式な儀礼をもって水葬を行うよう命じました。
こちらのオンライン展示では、この出来事に関連する、これまで未公開であった貴重な遺品の一部を展示いたします。これらの遺品の多くは、第二次世界大戦終結80周年にあたる2025年9月2日にオープンする「平和への道: 第二次世界大戦における戦艦ミズーリの記憶」にて初めて一般公開されます。
展示内容:
- 神風特攻隊員のスカーフ
- 神風特攻機 零戦の金属から作られた腕時計
- 神風特攻機 零戦の燃料計
- 神風特攻機 零戦の機体破片
展示品#1 - 神風特攻隊員のスカーフ
1945年4月11日に戦艦ミズーリに突入した神風特攻隊員が身につけていたスカーフの一部。第二次世界大戦中にミズーリの医療部問に所属し、隊員の遺体の処置に携わったとされるアイヴァン・デクスター一等衛生兵の家族より寄贈されたもの
展示品#2 - 神風特攻機 零戦の金属から作られた腕時計
1945年4月11日に戦艦ミズーリに突入した神風特攻機の破片を使用して作られたと考えられる腕時計。バンド部分には「USS Missouri」と「Claude Henderson」の刻印あり。ヘンダーソン一等兵は第二次世界大戦中、艦内郵便局で従事していた。
展示品#3 - 神風特攻機 零戦の燃料計
1945年4月11日に戦艦ミズーリに突入した神風特攻機のものとされる計器盤。直径2.5インチで、表面は黒、裏面は銀色。一つ目のゲージは0、10、20、30の目盛りがあり、中心の取り付け穴の上下にカタカナの記載あり。「0~30」の間には「5番タンク」と日本語で記載がある。二つ目のゲージは0、5、10、13.86の目盛りが刻まれている。1944年から1946年までミズーリの砲術部問に従事していたリチャード・ゴードン・ヤング一等兵の家族より寄贈。

展示品#4 - 神風特攻機 零戦の機体破片
1945年4月11日に戦艦ミズーリに突入した神風特攻機のものとされるアルミニウム製の破片(7.25インチ x 4インチ x 1.75インチ)。1944年から1946年までミズーリの砲術部問に勤務していたリチャード・ゴードン・ヤング一等兵の家族より寄贈。
展示品#5 キャラハン艦長写真コレクション
ウィリアム・マッコーム・キャラハン艦長のオリジナル写真コレクションです。キャラハン家よりご厚意で寄贈されました。
キャラハン大佐は戦艦ミズーリ(USS Missouri)の初代艦長であり、1945年2月に同艦が太平洋戦域に到着した際に指揮を執っていました。その月、ミズーリは日本本土への初の大規模空爆作戦に参加し、東京への空母攻撃にも加わりました。3月には硫黄島での作戦を支援し、4月には沖縄の初期砲撃に参加しました。
沖縄戦の最中、神風特攻機がミズーリに突入し、破片やパイロットの遺体が甲板に飛散しました。このときキャラハン艦長は、敵兵であるパイロットに対しても軍人としての敬意を表し水葬を命じました。この行動は乗組員たちに大きな感銘を与えるリーダーシップの象徴的な瞬間となりました。キャラハンの兄であるダニエル・J・キャラハン少将も1942年のソロモン諸島の戦いで戦死していたため、この決断は特に胸を打つものでありました。
1945年5月、キャラハンは少将に昇進し、ミズーリの指揮はスチュアート・“サンシャイン”・マレー大佐に引き継がれました。キャラハン中将は、38年にわたる輝かしい軍歴を経て、1957年3月1日にアメリカ海軍を退役しました。
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展示品#6 進水式の冊子
1944年6月11日、ニューヨーク州ブルックリンのニューヨーク海軍造船所で行われた戦艦ミズーリ(USS Missouri)の進水式における、オリジナルプログラムのデジタル化版です。キャラハン家より寄贈されたこの冊子は、同艦がアメリカ海軍艦隊に正式に加わった歴史的な瞬間を伝える貴重な資料です。
進水式ではウィリアム・M・キャラハン大佐が艦長に任命され、式典のスポンサーは当時上院議員だったハリー・S・トルーマンの娘、マーガレット・トルーマンが務めました。戦艦ミズーリは、その後アメリカが就役させた最後の戦艦となりました
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近日公開
平和への道:第二次世界大戦における戦艦ミズーリの記憶
2025年9月2日、第二次世界大戦終結80周年を迎えるこの日に、戦艦ミズーリ記念館では、新しい体験型展示「平和への道: 第二次世界大戦における戦艦ミズーリの記憶」を公開します。「平和への道」では、戦艦ミズーリを通して第二次世界大戦時の重要な出来事や、船上での乗員たちの経験を感じることのできる旅へと導きます。この展示は、マイティ・モーに乗艦した乗員たちを称え、彼らの遺品や所有物、そしてアーカイブ映像を通じて、その物語にスポットライトを当てます。